今年一発目の書き込みですが、いったいどれだけ時間たってんだよ、という話。
日常の細かい小ネタにかんしてはFacebookでおっぱじめてますのでそちらを見ていただくとして、ここのブログではあえて込み入った自分の考えや人を選ぶ情報を書かせていただきたいと思います。皆さんよろしくお願いします。
おかげさまで仕事に関してはどうにかやれています。忙しい割には稼いでいないのですが、仕事の内容は素晴らしく興味深いアーティストさんたちとばかり仕事ができていますのでそこはとても幸せだなと思ってます。これからゴールデン・ウィークぐらいまではかなりハードな仕事になると思うのですが、しっかり頑張って行きたいと思います。
おそらく今年か来年にはスタジオのPro ToolsもHDXにしなければならないでしょうね。周辺機器やシンセサイザーも強化したいと思ってますが、いやー音楽ってのは何かとお金がかかるものですよ。今年は去年にもまして環境が変化していくと思います。
長期的なヴィジョンというのも経営者として必要だとは思いますが、僕はまず実現可能かどうかは別として、こうなればいいなという大きな枠組を未来のために持っています。
それは「ビジネスの拠点は東京、プライベートの拠点は関西」というものです。そもそも僕は大阪生まれで両親も大阪に住んでいます。人生の半分を東京で過ごしてきましたが、年に一度は大阪へ帰っています。だから大阪に帰るのか、というと実はそうではないんですよ。大阪はいい街だと今でも思いますけど、故郷をあとにして東京で頑張っている人たちが普通に思う「郷愁」みたいなものは実は僕には全然ありません。
大阪に帰っても東京と周囲はそんなには変わりませんし、なにかが良くなるというわけでもないんです。違うのは「人」だけですね。大阪人の人懐っこさはものすごいものがありますけど、異質なものを受け入れていく東京のような土壌はありません。見ず知らずの他人に対する親近感は半端ありませんが、近しい人の行動に対しては干渉してきます。一長一短なのです。
僕はいずれ奈良に自宅を持てたらいいなと思っています。
奈良でも比較的市内に近くで便利だが、ちょっと離れると、のどかで歩いて天平文化(寺とか)に触れられるような場所が理想で、そういう場所で休日をすごしつつ、仕事は東京に出てきてやる、という形にしたいのです。
交通や通信のインフラが今後もどんどん発展してくるでしょうし、交通費はかかりますができるんじゃないかなと思っていて、それができるような環境を今一生懸命構築しようとしているわけです。たぶんそれをやるためには東京で誰かにビジネスをサポートしてもらう必要もあるでしょうし、難しいことはたくさんあると思いますけどね。理想です。
仏教美術とか歴史、特に天平文化に興味を持ち始めたのは今に始まった話ではありませんが、これは世界に誇れる文化なんじゃないかと思っています。僕の中では「最強」です。そういうものに囲まれながら音楽を作って老後を楽しみたいって願望が強いんです。それが奈良に住もうとしている理由です。実現するのはまだまだ先の話になると思いますが、そういう夢は持ちたいですね。
寺とかだったら京都とかいいんじゃないかと思うでしょうけど、そう、京都はとても良い所で僕も大好きです。だけど京都はやはり京都人のものってかんじがするし、奈良に比べると歴史がもう少し浅いので華やかですよね。平安・鎌倉から幕末までってかんじで。旅行気分であちこち素晴らしい場所を訪れるのは大好きですが、住もうとは思いません(夏暑くて冬寒いというのは両者に共通してますけど)。
奈良は古墳時代から飛鳥・天平ってかんじで、歴史が古いのでとにかく枯れています。よくわかってないので京都よりも神秘的な感じがありますよね。最近テレビで二上山のふもとにある當麻寺の観光CMが流れてますが、寺の紹介自体がミステリータッチになってますけど、まあそういう要素はあるかと思います。
日本書紀や古事記日本の古い歴史書はほとんどが8世紀初頭の奈良で制作されてますし、神話と実際の遺物や土地がリンクしていることもめずらしくないです。ヤマトタケルは伊勢で戦士したあと白鳥になって大阪の住吉まで飛んで帰るのですが、途中僕の実家のある方面に立ち寄るんですよ。なんでかは知らないんですけど。僕の実家は奈良ではないんですがやや奈良よりにあって、物部氏とゆかりのある土地です。聖徳太子が物部守屋を征伐したときに建てた寺とかがあります。ヤマトタケルが実在したのかとか白鳥になって飛んだのかとか突っ込みどころはたくさんありますが、いろんなところで実際にそうやって神話と土地がリンクしているわけです。そういう古い歴史に興味があると奈良の近くに住むのはとても楽しいと思いますよ。
奈良に住んだら東京に電車でいくには京都までJRで出て新幹線ってかんじですかね。時間は大阪に帰るより若干かかるかも。でも東大寺まで歩いていけるようなところに家があるといいなあ。法華堂の不空絹索観音とか簡単に見に行けたら最高です。それでまた東京でレコーディング。はぁそうなればいいのに。
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情弱は不幸か幸福か。
「情報弱者」という言葉はここ数年、ネットでよく聞かれる言葉になった。今では「情弱」と略されることも多くなったけど、テレビや新聞ではあまり使われない。ちょっと人を見下した差別用語的な見方もあるかもしれない。
そもそも情報弱者というのは、世の中の情報をあまり多く持っていない人、いいかれば情報を日常会話やテレビからしか得ていない人のことをいう。最近ではスマホでネットニュースなどをみられるようになった人が増えたことでより多くの情報をインターネットから得ている人も多く、情報弱者と呼ばれるほど情弱な人は少なくなったかもしれないが、実はインターネットの人口普及率79.1%とという数字からはまったく見えてこない情報弱者の数が存在しているのだろう。
インターネットをやっているからといって情報をふんだんに入手できているとは限らない。テレビと違ってインターネットは自分から情報を取りに行かなければ何も得られないメディアだからだ。インターネット・ユーザーが誰しも積極的に情報収集にいそしんでいるとは限らない。
例えばネットニュースは新聞よりは多少情報量が多く、例えばルー・リードが死んだことなどは一般紙が大きく取り上げることはないが、ネットならかなり目立つニュースとして取り上げている。紙面の制限がない上、新聞よりもユーザーが自由に取捨選択できるように構造が成り立っているから圧倒的に取り扱うネタが増えているのだ。正直、今は紙の新聞を取る意味なんて近所のスーパーの安売り情報を手に入れる以外はほとんどないと僕自身は思っている。電車の中で新聞を読む人も随分と減った。
とはいえ新聞や週刊誌を買う人はまだまだ多い。理由は幾つもあるだろうけど、インターネットに情報を頼っていない人はまだまだ世の中には多いのだと思う。それにインターネットは余計な情報が多く、情報が自分で選べない、しかも信用に値しないと思っている人もいるかもしれない。新聞のほうが正確な情報が得られると思っている人もいる。
新聞好きの人を否定するつもりは毛頭ないけど、世の中的にはそういう考え方こそ情報弱者の証だとしてバッシングされていることも事実だ。
インターネットの普及によって情報が増えたことは、単純に人々の情報量が増えただけでなく、既存の情報メディアの欠点に気づくきっかけにもなった。テレビや新聞がいかに偏った情報を僕達に与えてきたか、最近はこのことに多くの人が気づき始めた。当然のことながら、テレビや新聞は自分自身を批判することはない。広告を収入源としている以上はスポンサーの悪口を言うわけにもいかない。そんなのはみんなわかっていたけど、より正確な情報がインターネットに流れるようになって既存メディアの思惑が浮き彫りになってきた。
政治もしかり、殺人事件もしかり、原発問題もしかり、既存メディアが自分たちの都合のいい用に情報を取捨選択していることはインターネットから得た情報との比較によって露呈してしまった。
凶悪な事件などでも場合によってはテレビで報じられている内容とインターネットでユーザーが集めた情報とがまるで違う様相になっていることもめずらしくなくなってきた。テレビしか見ていない人とインターネットで深く掘り下げている人とでは真逆の情報を得ている、ということもありうるのが現状だ。テレビでは人権問題や民族差別などに配慮するための制限も当然あるけど、インターネットではおかまいなしに情報がろ過されることなくそのままの状態で垂れ流されている。
これを良くないと思う人も当然いるだろう。問題も確かにある。しかし自分自身に情報を正しく得る能力があれば、正確な情報の判断はむしろテレビや新聞よりインターネットのほうが有効なのではないかと思う。
この考えと全く逆な見方があっても不思議じゃないけど、トータルで見てインターネットというメディアは驚くほど影響力を増している。
テレビは特にインターネット、特にYouTubeに客を取られた。最近はYouTubeで番組を作っている制作組織もふえて、ヘタなテレビ番組より面白いプログラムが無料で配信されている。逆にテレビがYouTubeからネタを拾ってきてテレビで紹介しているようなケースもあって、さすがにそれは情けない思いがする。テレビは今、自分たちの役割を見直す大きな岐路に立たされている。テレビ自体は何も悪くないし、優れたメディアだと思っているけど、今は視聴者を満足させるような番組があまり作れていないのは、カネがないせいじゃなくて間違った方向にテレビメディアが進んできてしまったからだと思う。「テレビなんて情弱が見るもの」という批判的な意見は、今はあまりにもひどい言い方だとは思うけど、本当にそうなりかねない時がこのままでは来るかもしれない。
一方で思っているのは「情報はありすぎても人間は幸福にはなれない」ということだ。たしかに世間に無関心だというのは人間として無責任だと思う。環境問題やエネルギー問題、経済問題など人間は共有しなければならない問題点をたくさんかかえていて、それに対して無関心でいられるのは他力本願以外の何物でもない。そういう意味で情報には耳を傾けるべきだと思う。
だけど人間には知らなくていい情報がある。この世の中は真実を知るとがっかりしてしまうことや落ち込んでしまいそうになることが山積している。真実を知れば知るほどノーフューチャーなのだ。具体的な例を挙げるとまた知らなくていいことを知ってしまうことになるので言わないけど、世の中はホント大変なことになっている。ただ、知るべきことと知らなくていいことの境界線も結構ビミョーなところがあるからやっかいだ。頭のなかをいつもお花畑みたいにしておきたい人はインターネットなんかに手を染めない方がいいだろう。インターネットは便利で楽しいメディアだけど、決して人間を幸せにしてくれるものじゃない。
世の中がこうなってしまった以上「情報格差」は計り知れないほど巨大なものになっている。インターネットには目もくれず、今までどおりの生活をしている人と、インターネットにどっぷり浸かった人の持つ情報量では雲泥の差が付いている。だけど情報弱者が損をするばかりじゃないことは間違いない。情報を持っているから幸せになれるわけじゃない。情報弱者は見下されるべきじゃないと思う。
それでもインターネットに僕がどっぷりと浸かっているのは、貪欲な好奇心に負けてしまったからだ。不幸になろうがどうなろうが、知りたいことがたくさんある以上、インターネットから逃れることはできそうもない。「インターネット中毒」まではいっていないと自分では思っているけど(何日も見ない時もあるし)、インターネットもテレビも見ないなんて人からしたら異常な生活かもね。何事もほどほどに。
iPhone 5cをスタジオで使うとスピーカーからノイズが出る
うちはauを使っているのですが、確実に出るので広く問いかけて情報を集めようと思います。 原因はある程度わかっていて、LTEを使うとスタジオのモニタースピーカー(うちの場合Fostex NF-1A)から「ギギギ、ガガー」と音が出ます。音の出るタイミングはLTE回線でメールを送受信した時や通話するとき、かかってきた時、など。この現象は3Gでは出ません。 現状として、スタジオ内ではLTEを切ることで問題を回避してますが、LTEより3Gの電波が弱いため、なんとかならないかなと思ってます。ちなみにNS-10M Studio+AMCRON DC300Aの組み合わせからはノイズは出ません。パワードのNF-1Aの時のみです。電磁波のようなものとアンプの回路が干渉しているようです。ラインケーブルを外してもノイズは出るので、ケーブルで拾っているわけではないことは判明しています。 良い知恵をお持ちの方がいらっしゃったらぜひ教えて下さい。 参考URL:
「Xperia VL SOL21」のLTEがスピーカーノイズを発生させているっぽいです http://blog.livedoor.jp/yoblo/archives/19643134.html
LTE static hiss buzz sound(英語) http://forums.macrumors.com/showthread.php?t=1488391
Czecho No Public “Festival”
あけましておめでとうございます。
then-n-now
今月のサンレコでモジュラー・シンセについて書きました。
本日発売のSound & Recording Magazine誌で、TipTopというアメリカの新しいモジュラー・シンセのメーカーの製品について4ページも書かせてもらいました。是非みなさん読んでください。
最近の僕はというと、毎日激務に終われていまして、6月以降、ほぼ休日を取らずに毎日夜中までスタジオにいるような生活を続けています。7月の幕張のNo Nukesだけは行きました。初めて見たYMO、そして僕が勝手に「友達」と吹聴している(笑)Kraftwerkのライブを見に行きました。よかった!
そして7月末、珍しく10時半くらいに仕事が終わって自転車で帰っているとタクシーにぶつけられて交通事故に遭ってしまいました。結果から言うと怪我自体はたいしたことなく(といってもまだ少し通院中)、大事には至りませんでしたが、頭を打ったので生まれて初めて救急車に乗りました。CTを撮ったのもはじめてでした。始めてヘルメットが役に立ちました。
自転車も壊れ、どうやら保険会社がお金を出してくれるみたいなのでこれを機に買い換えかと 現在検討中。自転車がないので毎晩タクシーで帰宅しています。保険会社に請求しますけどね。
r_i_s_u
最近忙しくて、というかずっと忙しいんですがw、スタジオ業務以外にレーベルを始めてしまい、さらに仕事を増やしています!
Meguro Recordsというレーベルを今年から始めて、BP.の幻のアルバム再発に続き、トーマス・ドルビーのライブCD+DVD、r_i_s_uをリリースしました。ロックです。最新リリースのr_i_s_uはまだ公開していないコンテンツもあるのですが、本日トレーラーが公開されました。どういうCDをリリースしているのか、ぜひご覧ください。
r_i_s_uのPVもあるんですよ。
また近々書きます。
月例報告。
つーか、最近忙しすぎて自分のことがなんにもできてない。ということをブログを更新しない理由にしてはいるんだけど、本当はやろうと思えばやれると思うんだよね。でもやらないのはなんか、気乗りしないというか、うまく気持ちが切り替えられない。
ブログ書くくらいならもっとやらなければいけないことがたくさんあるだろ、というもう一人の自分の突っ込みが聞こえてくる。うん、確かにそうだ。でも今日はブログを更新する。
ここ一ヶ月にあったことをいろいろ思い出してまとめようと思ったんだけど、ずっとスタジオにいると時間とか日付の感覚がなくなって、気がつくと簡単に一ヶ月が過ぎているという感じ。でもこの状態もそろそろ落ち着いてきそうなので、みんななんか面白いことあったら僕を誘ってください。
で、そう思い出した。大阪から僕と唯一の付き合いのあるいとこが東京にやってきて会ったんだ。
僕にはいとこが全部で7人いる。多分だけど少ない方だと思う。いや、厳密にいうと9人か。そんなもんか。
そのうち事実上の付き合いがあるのがこのいとこ、「すーちゃん」だ。すーちゃんといってもキャンディーズのすーちゃんと同じ発音をしてはいけない。「す」にはアクセントを打たない。平坦に「すーちゃん」。
彼は僕の一つ上だけど、5歳くらいまでは歩いて行けるような距離のところに住んでいて、僕が引っ越してからも年に数回会うような付き合いをしていた。 大人になってから少々ブランクの空いている時期もあったけど、僕が音楽の仕事をするようになってからまた付き合いが始まった。彼も音楽好き、というかロック好きなんだ。
僕とはあまり音楽の趣味は合わないけど、音楽が好きと言うだけでいろいろノリが合ってくる。そんな彼はわざわざ東京にマイケル・シェンカー・グループを観に来ていた。
ライブが終わって近所の焼き鳥屋でここ20年に互いにあった出来事を話し合った。僕もいろいろあったけど、彼のいろいろはさらに凄まじかった。だけど、僕が東京で頑張っている様子を知って、そのエネルギーを大阪に持って帰りたいとばかりに質問攻めにあったけど、そんなエネルギーが僕にあるかどうかはさておき、とりあえず自分を振り返るいい機会にもなった。
20年以上も大阪を離れた僕からすれば彼はベタベタのネイティブな大阪人 で、その「圧」に若干負けそうだった。なにより声がでかい。きっと僕たちの会話の内容はお店の人にも聞こえていたかもね。そんな感じも最近すっかり味わってなかったので久々に大阪の感覚を楽しんでた。
最近僕の周囲はベビーブームだ。出産ラッシュといっていい。僕が付き合っている人達は僕と同世代よりちょっと下の人、30代後半から40くらいまでの人が多い。というのも僕と同世代は人口分布的にもかなり少ないんだ。いてもすごく出世して忙しい人が多いし。だから今ちょうどみんな身を固める準備に入っているんだね。
ご当人たちはどれだけ自覚しているのかは分からないけど、僕はこの現象を単に年齢だけのせいにはしていない。これはきっと昨年の震災の影響があるに違いないと思う。みんなあの時点で一度人生を見つめ直して前に進もうとしたし、なにか転換が必要な人にもいいきっかけとなっていた。住む場所を変えた人もかなりいたし。
さらにちょっと仕事がひまになって家庭に時間を費やしていた人もおおかったかもしれない。これからの日本を支えてくれる新しい命に経緯を表して、僕はいくつかのお祝いを贈った。
かくいう僕には子供がいないので、多少周囲に気を遣わせているかもしれないけど、大丈夫。お気遣いなく!
仕事を8時くらいで終わらせて焼き鳥屋に 行った以外は殆ど休みなく夜中の1時くらいまで仕事をすることが殆どだったけど、1日だけジャクソン・ポロック展だけは終わる前に行かなきゃということで行ってきた。
最近はライブよりも絵を見に行くほうがちょっと多いかもしれないなあ。
ポロックはアメリカの画家でとっくの昔に交通事故で若くして死んでいるんだけど、なんかわけのわからない(と一般的には思われている)抽象画で有名なんだ。キャンバスに筆で絵を描くんじゃなくて、直接絵の具やペンキをたらしていく「ポーリング」って技法で知られている。
制作風景はこういう感じで、おおざっぱな感じがするのはアメリカ的でほほえましいんだけど、当時の評論家たちはデタラメと評したらしい。僕が見る限り、むしろ非常に統制の取れた絵だなという感じがした。配色とかもすごく考えられているし、ランダムなんだけど、そのランダムさが均等になるように絵の具のたらし方 をコントロールしている。その感覚が素晴らしかった。
ひとつ日本の書画を意識したような、紙に黒い色でバシャーっとたらした作品があったけど、この一発OK的な模様の一部をあとになってポロックは白い色を入れて修正している。やっぱりすごく考えられている。だけどこの作品、本当にいいんだね!
ちなみにポロックはそこそこ生きている間に成功したらしく、お兄さんとかがマネージメントっぽいことをやって たりして、家族がそれなりにぶら下がっていたんじゃないかという気配を感じた。だから時には絵が売れることを考えなければいけなかったんじゃないかと思う。
5〜6年前にトラック運転手のおばさんがリサイクルショップで5ドルで買った絵が ポロックの本物だったという実話をドキュメンタリーにした映画があって、これをチェックしようとしてる。アラブの富豪か誰かが20億円で譲ってくれと言ってきたオファーをそんなもんじゃないだろ、と断ったエピソードがあるとかないとか。すごいね。それくらいポロックのポーリングで描いた絵は評価が高いんだ。
というのも、僕も展覧会に言って初めて知ったんだけど、僕らがよく知っているポロックのあの作風は実はとても限られた期間にしか描かれていなくって、1950年から51年くらいの間がそのピークだった。大きな絵はすごく少ないんだよね。 つーわけで次はボストン美術館展に行ってきます。僕のヒーロー、曾我蕭白の作品の貴重な里帰りをチェックしないと!
気がつけば、もう3月。
ほんと、どういうことか。もう3月じゃないか。
ここんところブログを全然更新してないのは極めて極めて多忙なだからで、今年、というか去年の11月末くらいから殆どといっていいくらい休んでない。前にも言ったかもしれないけど、僕はあと2年は死にものぐるいで働きますと宣言していて、逆にひまだと困ってしまう。みなさん仕事ください!
さぞかし儲かっているのだろうと誰かに言われたけど、そうそう90年代のようにはいかない。そもそも僕の商売はどんなにたくさん仕事が入ってもぼろもうけできるような仕組みになっていないし、ようやく食えている、そんな感じが現状なんだ。多分僕にお金を支払ったことのある方なら僕が儲かっているなんて思わないと思う。
ただ スタジオを初めて今年で3年になるけど、少しずつ認知されはじめているという手応えがようやく湧いてきた。これはとても嬉しい。
僕はスタジオができて初めて音を出したとき、すごい手応えを感じた。想像以上にいい音がでてきたからね。そこからいろいろチューニングして、細かい調整をして今の形に落ち着いている。完璧とは言えないけど、かなりいいと思う。
だけど中にはあまり気に入らない人もいたりして音に対する感じ方は人それぞれだなあと思った。でもいろんな人の意見を聞くと、東京の中でもかなりいい線いっている音が出せているんじゃないかという確信が持てるようになった。自分の感性を信じることは大事だね。やっぱり。
東京の音楽業界の中でのいろはスタジオの立ち位置もだんだん分かってきた。当初自分が思っていたとおり、こういうスタジオの需要はまだまだあると思えるようになってきた。みんながこういうスタジオを探してるんじゃないか、そういうスタジオを作ってみんなに喜んでもらいたい。そしていい音楽を作ってもらいたい。そういう感じです、最近。