Bob Moog博士は1954年の幼少時代から父とテルミンをはじめとする音の出る電子装置を組み立てて遊んでいました。博士は60年代の中頃に実験的音楽家のHerbert Deutschと出会い、最初のモジュラー・シンセサイザーを彼のために製作します。翌年の1965年には博士号をとり、R.A.Moog,Inc.社をニューヨーク州のバッファローに設立しました。1968年に彼の作ったシンセサイザーを使って制作されたウォルター・カーロスの「スイッチト・オン・バッハ」の大ヒットで、彼は一躍有名になりました。
1970年、彼はより小型化されたシンセサイザー"minimoog"をアナウンスしますが、会社は翌年にMoog Musicに名前を変え、1973年にはノーリン・ミュージック社の一部となります。
今ではシンセサイザーの代名詞となっているMoogですが、当時の経営は常に順調というわけではなく、社名が変わるばかりか博士自身も1977年には会社を去ってしまいます。
Moog博士はすぐにビッグ・ブライアーという名前でいくつかの製品の設計を始めますが、その後オランダのSynton社に在籍し、Kurzweil Music Systemsの新製品事業の副社長として5年間つとめたのち、ノース・カロライナ大学で3年間教鞭をとります。一方博士のいなくなったmoogは1986年に姿を消していました(当時の国内代理店は日本楽器、つまりヤマハ)。
1991年になって博士は自分の会社ビッグ・ブライアーから新型のテルミンを発表します。1998年にはMIDIテルミンもリリースし、moogerfoogerなどのエフェクターも生産していましたが、2002年にはついにminimoogの復活となったVoyagerを発表。2003年にmoogとminimoogの商標権を取り戻し、ビッグ・ブライアー社の名前をMoog Music Inc.に変えました。そんな彼がテルミンを組み立ててから今年で50年になり、博士の半生をつづった映画「moog」も公開され、DVDも発売されたかと思いきや...2005年8月に他界されました。シンセサイザーの一つの歴史が終わりました。ご冥福をお祈りいたします。
映画「moog」の中で健在ぶりをアピールしていた博士でしたが、寄る年波には勝てなかったようです。なぜかシンセサイザーの創世記に大きな役割を果たしたデザイナーには人柄の良い人が多く、博士もその代表格であったのに残念です。moogの製品をお持ちの方は、博士の残してくれた偉大なる遺産を所有し、末永く持ち続けていくことを誇りに思って下さい。
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