今回の震災について。

今回の震災で被害に遭われた皆さんにまずお見舞い申し上げます。これからも大変だとは思いますが、お互い頑張っていきましょう! 僕も復興に協力していきたいです。

そして個人的にはショックなことがもう一つありました。
3月10日の朝、日本のレゲエ・シーンを作り上げてきたプロデューサーの加藤学さんが病気のため亡くなられました。加藤さんは僕が信頼を寄せていた方の一人で、単に仕事の関係だけではなく、人間的にも素晴らしい人で、いろんな思い出がありました。あの加藤さんがこの世にもういないなんて、ほんと信じられないくらいショックです。今の僕は加藤さんのおかげといっても過言ではありません。ご冥福をお祈りします。

地震に遭う

そして11日、僕は加藤さんのご自宅があった仙台で行われるお通夜に出席するために午後家を出て仙台に向かいました。時刻表で調べると東京駅から新幹線に乗るより大宮駅から乗った方が若干早いことがわかったので埼京線に乗って大宮駅へ向かいました。

やがて電車は武蔵浦和駅に停車し、快速待ちとなりました。このあたりの電車の事情にわかっていない僕はそのまま乗っていた電車の座席に座っていましたが、向かいのホームに快速が来ることが分かって、あれに乗り換えれば早く大宮駅に着くんじゃないかと言うことになり、向かいに来た電車に乗り換えようと席を立ったその時です。
 グラグラと電車が揺れ始めました。
 最初は向かいの電車が入ってきたことで線路が揺れているのかと思ったくらいでしたが、いつまでも揺れているのであれ?と思ったのです。そのうち揺れがどんどん大きくなってきて、ホームに出ました。ホームも揺れていました。そのうち何かがカタカタと音を立て始めて、金属で出来たホームの屋根が大きな音をたてて揺れ始めました。もうその頃にはいろんなものが音を出していて、立っているのもやっと。思わずベンチの端を手でつかみました。
 すぐとなりのマンションは巨大で動いているようには見えなかったけど、看板とかグラグラ揺れているし、子供は号泣しているし、騒然とした雰囲気でした。
 その頃はまだ電車で仙台に向かうつもり満々だったので、当分ホームで電車が動くのを待っていました。しばらくたって駅員のアナウンスが入り、運転を見合わせていますとのこと。するとまた同じくらいの激しい揺れがホームを襲い、しゃがみ込む人もいました。
 揺れがおさまって、数分間はホームにいましたが、改札を解放したのでそのまま外に出てもらって構わないというアナウンスが聞こえてきたので、これは当分電車が走らないんだなと思い、改札を出ました。
 そこには大きなテレビがあり、緊急ニュースを大勢の人が食い入るように見ていました。
 すぐに津波の空撮映像が入ってきて、みんなで津波を見ました。テレビの音は聞こえない状態だったので、気づくのが遅かったのですが、ようやく地震が僕が今から行こうとしている仙台で起こったことに気づきました。
 まだ仙台行きをあきらめきれない僕は駅から離れないまま自分の無事を知らせようと自宅に電話しましたが、もはやまったくつながりません。メールが送れることが分かったのでメールを何人かに送りましたが返事がないことをみると、届いてないのか、もしくは送れない状況なのか…。だんだん心配になってきました。
 一番メールの返事が早かったのはたしかうちのスタジオの関係者でもあるH君。たまたまスタジオの近くにいたらしく、「今からスタジオの中に入って状況を確かめます」とのこと。本当にありがたい。
 一番連絡に役立ったのはtwitterです。知り合いも身内もみんな見ているし、殆どいつでもつながったので携帯から何度となく書き込みました。こういう災害時には携帯電話はEメールも含めてまったく役に立たなくなると言うことを身を以て知らされました。
 インターネットはそもそも核戦争が起きても通信網を破壊されないように巣(=ウェブ)のように通信回線を張り巡らしたアメリカ軍の産物で、それを商業的に解放したのが今のインターネットなのです。災害には強いはずです。

帰宅

 30分ほど駅にいて、地震の規模もある程度把握でき、これはもう仙台まで行くのは無理かなということがわかって帰ることを考え始めました。とはいっても家まで直線距離でも20kmは離れているし、電車が使えないということならタクシーしかないだろうと考えました。
 タクシー乗り場は既にもう100人くらいの人が並んでいましたが、とりあえず僕も並んで10分ほど待ちました。しかしタクシーが来る気配はまったくありません。すごく寒いし、これは待っててもしょうがないんじゃないかと思うようになってきました。そこでとりあえず一駅くらいは歩いてみようかなと思って南浦和へ向かいました(あとからわかったことですが、僕が向かったのは南浦和ではなく北戸田駅だったのです)。
 そこのタクシー乗り場はまだ20人くらいしか並んでいなかったので、僕はそこに並びました。その時にそこそこ大きな余震がまたそこにやってきて、それをきっかけに前のご婦人と話したのですが、武蔵浦和から歩いてきたと話すと、「え、武蔵浦和から歩けるんですか?」と驚いた様子。その僕の話に反応した人3人がタクシーの列から離れて僕が来た武蔵浦和に向けて歩き始めました。
 横にいたホームレスの爺さんによるとここ1時間にタクシーは一台も来ていないとのこと。外も薄暗くなってきてこれは無理かなと思っているときに、西川口行きのバスがやってきました。しかもそのバスがまだなぜかすいているのです。とりあえず西川口まで行ってみようと思って、そのバスに乗りました。
 バスはちょっと遠回りするルートのものでしたが、乗っている内にだんだん満員になってきて、西川口に着いたころには超満員でした。でもなんとか到着。すると駅の手前でバス会社の職員らしき人が道路の真ん中で手を振ってバスを止めています。なんでも駅前のターミナルが崩れていてバスが入れないとのこと。
 結局普段はある東京行きのバスが動いていなくて西川口から歩くことになりました。
 となりの川口は実は住んでいたことがあるので土地勘がありました。すぐにたどり着き、東京と埼玉の間にある荒川を歩いて渡るための荒川大橋までもスムースに地図なしで来れました。
 夜の8時近いというのに、渋滞した車のライトで橋は明るく、大勢のの人が歩

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