雑司ヶ谷霊園

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最近のお気に入りの散歩スポットは雑司ヶ谷霊園だ。池袋駅から歩いていける場所にあるんだけど、目白からも近い。昔からひっそりとしていてなんか落ち着いた場所だ。
 そもそも雑司ヶ谷を知ったのは1970年代前半にテレビで放送されていた石立鉄男主演のドラマ「水もれ甲介」の再放送をスカパーのチャンネルNECOで見てハマってしまい、ネットで調べたところそのロケ地が今でも雑司ヶ谷に残っているというので行ってみたってところから始まった。
 残念ながら舞台となった水道屋さんの家は僕が初めていったときより数年前に取り壊され、立派なビルになっていたけど、すぐ横にある都電の高架は35年前からまったく変わらないまま残されていた。
 実際にロケ現場をテレビで見たイメージと比べる驚くほど前の道も狭く、印象が違うけれども実際の町並みをそのまま使ってドラマが作られていたことがよくわかった。
 話を戻すと雑司ヶ谷霊園はそこのすぐ近くにある大きな墓地だ。
 ここの霊園は数々の著名人が眠っていることでも知られている。特に文豪や画家などアーティスティックな人が多い。夏目漱石、小泉八雲、永井荷風、竹久夢二、先代の名歌舞伎役者なんかも眠っている。だが、あえて今日取り上げるのは村山槐多(むらやまかいた)だ。
 村山槐多の墓は霊園の中でもかなり端の方の、ちょっとわかりづらいところにある。シンプルな字が彫り込まれただけの天然の墓石は先祖の墓の敷地にひっそりとあるが、ファンだろうか、誰かが訪れて彼の好きだったタバコが供えられた形跡があった。

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 村山槐多は大正時代に活躍した洋画家、詩人で、わずか22歳で亡くなっている。詩人ランボーとよく比較されるけど「デカダン」を追求した人だ。画風はきわめてラディカルで、赤は血のように赤く、描かれている人物像はたいてい狂気じみている表情をしている。小便をするお坊さんの絵を描いたことでも知られている。最期は結核にもかかわらず、雨の中裸で倒れているところを発見されたらしい。
 しかし彼の作品が大好きで、実際の作品を目にしたこともあるけど、尿をする僧侶の絵は長野県の美術館にあって未だに現物にはお目にかかっていない。
 そんな彼が東京に住んでいた時代に飯を食わせてもらっていたご近所さんへのお礼にと贈った段ボールに描かれた風景画が以前「なんでもお宝鑑定団」に出て話題となった。オークションのスタート価格が3000万円というのだ。1億になってもおかしくないという。もともと早世した槐多は油絵の点数が20〜30点くらいしか残っていないらしく、その段ボールの絵は新発見の作品だったのだ。
 槐多が雑司ヶ谷に眠っているのを知ったのはわりと最近のことで、ぜひ行ってみたいと思った。霊園は広いけれどもひっそりとしていて木々が多く、ジョギングや犬の散歩をしている人も多い。アラーキーもここで写真を撮っていたそうだ。同じ墓地でも青山墓地は軍人や政治家が多く近代的な雰囲気のところがあるけど、ここはいかにも文化人が眠っていそうな雰囲気が漂っていて、ちっとも恐ろしい感じもしない。とても清らかな空気が流れている落ち着いた場所だ。

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Sony PCM-M10

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今年の9月にリリースされるポータブルレコーダー。僕はPCM-D50を使っていますが、これはすごくいいです。今回のはさらに小さくなってますね。
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ジャパンツアー

 先月からなかなかブログを更新できなかった。先月の話をいまさら。

 サンフランシスコから来たwindsurfとは富山まで車で行って、富山駅まで合流。その後金沢まで車で彼らと移動した。

金沢のライブが終わったら3時間だけホテルで寝て、僕とまさし君だけ仕事の関係で先に新幹線で東京へ戻っけど、その日の夜にはまた新宿で9dwのメンバーとwindsurfと再会。翌日はさらに代々木でライブ。4日連続だ。
 windsurfのメンバーとは東京の2日間でいろいろしゃべった。彼らは日本の「シティポップ」のファンであり、山下達郎などのレコードをコレクションしているマニアだけれども、美術に関しても詳しかった。横尾忠則を知っていて横尾忠則がまだ画家ではなくてグラフィックデザイナーだった時代に作った天井桟敷のポスターなんかに興味を持っていた。僕の趣味のど真ん中だ、そこは。
 メールでも彼は月岡芳年の影響を多大に受けていることを彼らに伝えた。芳年についてはまた今度。
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日本 vs ウズベキスタン

 若干遅れながらもFIFAの話。ウズベキスタンのサポーターはあまりマナーがよくなかったけど、はるばるウズベキスタンにまで応援に行った日本のサポーターは気合い入ってた。すごい行動力だ。皆さんお疲れ様。

 で、サッカーを見てふと思い出したことがある。ウズベキスタンといえば唐招提寺だ。僕の中ではウズベキスタンといえば唐招提寺ということになっている。実は今日話したいのはその唐招提寺の話だったりする。
 唐招提寺は鑑真という中国の高僧が日本に苦労して渡ってきて天平時代(西暦759年)に創建した奈良の寺だ。彼が亡くなったときに作られた写実的な坐像が有名で、東京の上野なんかに何度かきたことがある(僕も間近で見たことあるよ)。
 唐招提寺にも僕は3回行ったことがある。そのうちの2回は一人でカメラを持って行ったのだけれども、閉館ぎりぎりに入ると夕日を浴びた金堂がなんともいえず渋く輝いていて本当に美しかった。雨上がりのあとはひっそりとしていなんともいえない清らかな空気が流れている。不便な場所にあるけど好きな寺の一つだ。
 その立派な金堂が100年ぶりに修理されることになった。平成の大修理。過去に何度も修理されてきた中では最大のプロジェクトだ。なんといっても創建以来一度も外に出たことのない本尊を外に出し、金堂の完全解体を行ったのだ。屋根から柱まで完全に取り外され、ばらされてから木材の一本一本に修復を施して再度くみ上げた。これは新しい建物を建てるよりより遙かに手間がかかる作業らしい。一度外した木は伸び縮みを繰り返し、再度はめたときには寸法が違ってくるのだ。古くなった和釘は再度溶かして鍛冶屋が新しい和釘に生まれ変わらせた。本当に手が1000本ある千手観音の手もすべてとりはずされて一本一本に金箔の剥離を止める修復が施された。この気の遠くなるような作業は10年も続き、今年10月にようやく全工事が終了する。
 「唐招提寺建立縁起」にはこの金堂を造ったのは「胡国の人、安如宝」と出てくる。如宝は鑑真が連れてきた渡来人で、鑑真の死後も唐招提寺の発展に貢献した人物だ。そこで注目すべきなのは如宝を「胡国」の人と言っていることだ。胡国は今で言うところのウズベキスタン周辺にあったソグド人の国のこと。ソグド人はペルシア系の白人で、典型的な人は目が青い。つまり唐招提寺の金堂を造ったのは青い目の白人僧侶だった可能性があるというのだ。この記述について疑問視する見解もあるけど、実際にそういうことがあってもなんら不思議ではないだろう。当時の唐にはソグド人がたくさん入ってきたらしいし、如宝がソグド人だったとしてもなんの不思議もない。 もしかすると金堂を造ったのが鑑真ではなかったという事実にひっかかっている人がいるのかもしれない。しかし如宝が造ったのはほぼ間違いないと思う。
 如宝は当時の大物との人脈を持ったインテリ僧であったらしく、かの空海とも仲良くしていた。空海に日本語の代筆を頼んでいたりしたのだ(字がうまいし)。空海は唐に留学の経験があり、中国語が話せた。如宝とは中国語で会話できたのだ。1200年も前の日本にそんなインターナショナルな世界があったなんて! そういう歴史話ってなんだかイイ。
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人形芸人ドント&ノット

 あまりにも好きでDVDまで買ってしまったクレイメーション「人形芸人ドント&ノット」が最近C1000 Refresh TimeというドリンクのCMに出てくるようになった。もともと僕はテレビ東京でやっていたのを偶然発見して、それからハマってしまい、ちょっと前にオンエアが終了してからDVDが2枚リリースされたのを買ったというわけだ。

 クレイメーションというのは粘土人形をコマ撮りで動いているように見せかけるアニメーション。ドント&ノットは店で売られていた人形2人が店を抜け出して漫才師を目指すという設定で、2人とも女。今はやりの女芸人だ。しかも2人はネイティブな大阪弁をしゃべる。
 それだけであればただのかわいいアニメーションなのだが、注目すべきなのはその毒っ気。出てくるキャラクターはとてもかわいいが、話の内容はまったくのブラックジョークで、不条理でもある。ドント&ノットの2人の師匠である「和菓子亭生くりいむ」が出来の悪い粘土の固まりのような姿になったいきさつを語るエピソードや、楽屋に亡霊のように現れるストーカーのエピソードは、ある意味アブノーマルな展開だ。サウスパークほどではないけれども、あの不条理さについて行ける人にはおすすめしたいアニメーションだ(サウスパークは人によっては不快に思えるほどのえげつない内容が多すぎるけど、そういう毒はない)。
 ただ、その最大の持ち味である毒のあるキャラクターがCMではまったく生かされていないのは残念だ。ただのかわいい粘土人形としてしか表現されていない。
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Wax Poetics

  忙しくてすっかり紹介が遅くなってしまったけど、Wax PoeticsのUS版 Issue 34に僕も参加させていただいている9dwが紹介された。3月のテキサス州オースチンで行われたサウス・バイ・サウス・ウェストのライブではアンコールまで起きてしまう事態におちいり、我々メンバーもそのリアクションの大きさに圧倒されてしまうというくらいそれは一大事だったわけだったけれども、帰ってきたらアメリカのWax Poeticsに載ってたってわけ!

 もうひとつ驚いたのはWax Poeticsという存在のリスペクトの大きさ。僕は正直なところあまり注目していなかったわけだけど、アンドレをはじめとするWax Poeticsのスタッフが9dwを大きく評価してくれたことで日本の僕の周囲からも大きな反響があった。あのミックスはどうやってんだとか、なんでWax Poeticsがおまえたちをほめているんだとか、悔しいけどイイとか(笑)。僕はどんな評価であってもありがたいなと思う。そして一人でも多くの人に9dwの作品を聴いてほしいと願っている。
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ピグミージェルボア

ピグミージェルボアというネズミを知ってますか? アフガニスタンの砂漠などにいるやつで、日本にも数は多くないが入ってきている。500円玉くらいの大きさしかないらしい。


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歪曲談集

 アメリカから帰ってきた次の日から今日まで、まったく休みなしで働いている。今月は1年の中で一番忙しい月だ。先日ようやくPANGちゃんのアルバムのマスターを作り終えたけど、仕事は全然終わっていない。体はつらいけど、毎日が充実していて、仕事に対するストレスはまったくない。毎日楽しく仕事ができているのは本当に幸せなことだ。

 それでまったくブログを更新できていないために紹介がすっかり遅れてしまったんだけど、Shing02のアルバム「歪曲」にちなんで企画されている「歪曲談集」のページに僕のロングインタビューが載っている。赤裸々に僕の経歴を告白しているので(?)恥ずかしいけど興味のある人は読んでください。
 とはいっても42年も生きていれば全部を語ることなんて到底できない。このページのインタビューでも肝心な情報が抜け落ちている。僕の音楽のルーツの話でも、これを読めばKraftwerkばかり聴いているように思えてくるけど、実際はかなり違う。
 80年代の僕は大半をNurse With WoundDie Tödliche Dorisなどのノイジーな音楽を聴いて過ごしていた。The Hafler Trioが僕のヒーローだった。シンセサイザーに興味を持ったものの、テクノにのめり込んでいくことができなくて、むしろドイツのプログレなんかのほうが興味があった。なぜなら僕が求めているライフスタイルが衛生的でファッション的なものじゃなく、むしろカオティックで有機的な方向に向いていたので、シンセサイザーにもそういうイメージで面白い使い方がないか模索していた。
 僕自身は白人的なものも黒人的なものも許容できるけど、それはカオティックなものは白人にいいものがあり、有機的な要素は黒人音楽に優れた物があったからだ。そこにアジア、特に日本的な「わびさび」感を自分の音楽性に取り入れていきたいというのがジャンルを超えた僕の音楽観念で、その方向性はどういうわけか80年代から全く変わらずに今まで来ている。
 話を歪曲談集に戻そう。補足的な情報を少し。このインタビューの中にしばしば出てくるK君の話だけど、実はここ10年来、K君とは連絡をとっていない。たしかに彼とは親友であったけど、多分彼の方が僕とつきあうことが窮屈になってきたらしい。次第に連絡をしてこなくなった。僕が酒を飲まないことも彼とのつきあいに大きな影を落とした。僕は思い出したように時々CDやビデオを彼に家に送り付けていたけど、それに対する返事が来ることがなかった。
 僕は彼の携帯電話の番号もメールアドレスも知らない。そんなわけで今では彼とのつきあいがなくなってしまったのだ。
 彼とは中学生の頃に廃墟になった団地の一室に潜り込んでそこをスタジオにして音楽を作っていた時期があった。その頃はわけわからん音楽ばかり作って楽しかった。大人になってからも大阪市内にマンションを借りてスタジオにしていたけど、結局それは僕が「やめよう」と言い出して幕を閉じた。彼と本気で口論した最初で最後の機会だったけど、最後には彼が僕にあやまって解散となった。その後も互いに仲良くはしていたけど、彼は音楽以外のことに興味をもちはじめて僕とは接点がなくなっていった。
 そのときボーカルをしていたF君ともそれ以来会わなくなってしまった。その後彼は大きな交通事故に遭って生死をさまよい、久しぶりに僕の家を訪ねてきたときには、ちぎれかけた耳を縫い合わせた跡を僕に見せながら笑っていた。彼も今はどうしているのか全く知らない。
 しかしF君の幼なじみで紹介されたI君とは未だに年賀状のやりとりをしている。もう15年も会っていないのに。彼はいまでも音楽を愛しているようで、家族を持ち幸せに暮らしている。
 大阪にいる友達で未だにつきあいが続いているのはまつおかたかこという女性だけだ。彼女とは性別を超えた同志のような関係だ(僕は相手さえ抵抗がなければ女性であってもそういうつきあい方ができる)。年に1度くらい会い、あとはメールでちょこちょこ話しているくらいの仲だけど、途切れずに今でもつきあいが続いている。時々お土産の送り合いもする。そういうつかず離れずの関係ってそんなに悪い物じゃない。彼女は大阪でも有数のプロのイラストレーターで、「お絵かきさん」を自称している。芸術的才能を持った人。興味深い話も聞ける。ブログの十三の飲み会の話は彼女と会った時のものだ。とはいっても僕は酒を飲まないんだけど。
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SXSW オースチン4日目5日目〜完結編

 いよいよオースチンともお別れの時が来てしまった。今までで一番眠れたのが今日だったけど、それでも6時間あまり。そもそも旅行に行くといつもこんな感じだ。みんなより早く起きてシャワーを浴びたが、鼻の頭にニキビができているのに気づいた。なんてこった。始終食べ続けた肉食生活によって蓄積された僕の体内の不純物がこんな場所に排出されようとしている…。

 それはそうと、冷蔵庫に残っていた激マズのスポーツドリンク(わざとまずそうなのを買って飲んでいた)の残りも飲み干し、ゴミを捨てていく。

 飛行機の時間までは余裕があるけど、みんな何か食べてから空港へ行きたいと思っていたので早めに出発することにした。

 ホテルのドアを起きると照りつける強い日差しのもとで例の鳥がまた今日もけたたましく鳴いている。見た目はとてもかわいいんだけど鳴き方はアメリカンだ。

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 ホテル前のばかでかい幹線道路、35号線を南下して空港通りを左折し、まずは齋藤さんがレンタカーにガスを補充。もちろんセルフサービスなのだが、誰もお金をどこに入れるのかわからない。へんな所にドル札を突っ込もうとしていると、どこからともなく聞こえてくる声。「金は店の中で払ってくれ」。どうやら後ろにある店の中から店主が見ていたらしく、スピーカー越しに声が聞こえていたのだ。

 しばらくすると支払いを済ませた齋藤さんと中原さんが店の中から戻ってきた。「店のおじさん、すごくいい人でしたよ」。よかったよかった。これでレンタカーは無事返せる。

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 しばらく道路を走っていると、ボコボコにへこんだ車が僕たちを追い抜かしていく。完全に事故車だ(笑)。ボコボコの車を見るのは実はこれで2度目。あちこちにこういう車が走っているらしい。

 自動車もやたらにでかいDODGEやシェヴィー(シボレーの愛称)が多く、たまに走る日本車が繊細に見える。中にはリアの窓ガラスに白いマジックででかでかと「この車XXドルで売ります!電話番号XXXXXX」と書いてある車も走っている。後続車がそれ見て電話かけるんだろうか。とにかくドライバーは売れるまでは乗っていたいということなんだろう。合理的すぎ。

 道のあちこちでヒッチハイクをしている人や金を恵んで欲しいホームレスが段ボールに字を書いて交差点に立っている光景をよく見かけた。ホームレスは日本にもいるけど、あんなに積極的な行動をおこしているのは一度も見たことがない。そこの感覚もアメリカなのだ。一度だけ信号待ちの車からお金をもらっているホームレスを見た。あそこに1日中立っていればそれなりの成果はあるんだろう。

 そうこうしているうちに僕たちの目に飛び込んできたのが「JACK IN THE BOX」の看板。これがファーストフードの店だということは全員わかっていた。なぜなら以前夜中に腹が減って食べるところを探していたときに別のチェーン店を見つけて入ろうとしたら店が閉まっていたという悲しい出来事があったからだ。その晩ホテルに帰ってネットでメニューを見たらテリヤキボールみたいなご飯物が置いてあることも知っていたので、ぜひ試したかったのだ。

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 店内は日本のモスバーガーなんかと変わらない感じでいたって普通。清潔感もある。レジの女の子は歯の矯正をしたかわいいハイスクールのバイトさんという雰囲気。まさし君が例のテリヤキを頼んだので、僕はクリスピー・チキン・バーガーを注文。「コンボ」と呼ばれるドリンクとポテト付きにして、さらにうまそうななんとかベリー・スムージーも注文。「なんとか」の部分は難しい単語で忘れた。

 ドリンクは空のカップを渡されて隣にあるサーバーで自分で好きなドリンクを注ぐシステム。ところがドリンクは「レギュラー」を頼んだはずなのに来たカップがこのありさま。最初は間違ってきたと思ったが、どうやらこれがレギュラーらしい。オー・ホワッタ・テキサス・サイズ! 日本のLサイズよりも大きいカップに気後れしてかなり控えめな量のドリンクを注いだつもりだったけど、結局飲みきれなかった。自分の注いだ量が少なく見えたのはカップがでかずぎたからだった。

 ハンバーガーもなんとかスムージーも味はよかった。特にスムージーはおすすめ。フレッシュなベリーを使っているらしい。このあっさり感は十分日本でも通用する味だ。

 中原さんが気軽に頼んでしまったサラダがこれまた破壊的に巨大だった。これは日本では4名様お取り分け用サイズでしょ。みんな手伝って一生懸命サラダを食った。9dw、アメリカを食らう!

 食べ終わった頃にはどっぷりと「食べ疲れ」が出て、今度はとてつもない満腹感に襲われ始めた。空腹と満腹の振れ幅がでかすぎる。

 空港へはほどなく到着。空港に来たのがずいぶん前のような気もするが実は4日、実質3日しか経っていない。

 空港のセキュリティ・チェックは相変わらず厳しく、液体の持ち込みはきわめて限定的、X線には上着と帽子と靴まで脱がされて、裸足のまま金属探をくぐり抜ける。そしてまたしてもあの狭い飛行機に乗ってワシントンDCへ向かった。さよならオースチン!

 ワシントンDCのダラス空港に着いたのは夜の10時。ダラスの緯度は北海道よりも高いためか、結構肌寒い。暑がりの僕とアメリカ人は半袖だけど、まさし君と中原さんは長袖で子犬のように震えている。飛行機が寒かったらしい。

  ホテルまではタクシーで移動することになった。ドライバーはインド系のおじさん。数字の3を「トゥリ」と発音するあたりがインドっぽい。おじさんの若干荒い運転で一行は無事ホテルに到着した。

 チェックインを初めてまずはトラブル発生。予約の部屋の数が違っているらしい。マネージャーも出てきてすったもんだしたあげく、女性の中原さんを除いて残りの4人がツインの部屋1つに泊まることになった。エクストラ・ベッドを入れてもらうことになったけど、どうやら言葉がうまく伝わっていなかったらしく、再度リクエストしに行く。

 問題は食事で、ホテルの人に聞いてもこの時間では食べようにも開いている店がないらしい。タクシーに乗って”IHOP”に行くしかないらしい。

 実はこのIHOPがどんな店なのか、僕たちは理解していた。オースチンで宿泊したホテルのとなりにあって2日連続でそこへ行ったからだ。24時間営業のファミレスだが、間違っても雑炊セットは置いていない。肉だ。夜中の3時に行っても分厚いステーキが食える。

 でオースチンのIHOPの話を少し。ここの夜中にはエディ・マーフィーみたいなしゃべり方をする陽気な黒い兄ちゃんがいて、彼らは僕らが日本からきたことを知って、2回目には「コンニチワ!」と日本語で挨拶をしてぺこりと頭を下げた。その直後、自分で爆笑してやがる。あまりにもテンションが高いのでこっちまでつられて笑ってしまった。見た目と振る舞いからは想像できなかったが、どうやらアニメ(本人はアナミと発音していた)が好きらしく、日本へ行ってみたいらしい。僕たちから15時間飛行機に乗ったことと、運賃の高さをきいて「じゃもっとパンケーキを焼かなくっちゃ!」と小走りで去っていった。こいつ吉本新喜劇っぽい。

 話を戻すが結局タクシーに乗ってまでIHOPでまた肉を食べるかと思うと、もうこのままお菓子食って寝たい気持ちになってきた。というわけで夕食は抜き!

 ついでに5日目の話までしちゃおう。実はこの文章もアメリカから東京へ帰るユナイテッド803便の中で書いているのだ。座席は日本人でも狭く感じる。ここだけはアメリカンサイズではないのだ。それでも13時間はここに座っていなきゃいけない。ケツがもう早くもやられ始めている。

 ダラスは国際空港で、ホテルからは昼間はシャトルバスがあった。これはありがたい。途中車内から見える風景はテキサスとは若干違って緑が枯れた色をしている。ただだだっ広いのは同じ。

 空港ではまたいつものように靴を脱いでセキュリティ・チェックを受け、パスポートに紫外線をあてられて偽造かどうかチェックされ、ようやく中に入れた。これであとは帰るだけだ。

 それから13時間。成田に到着。空港のチェックはさすが日本、スムースだったが、やたらと報道関係者がいる。僕らと同じ飛行機に乗っていたらしい黒人の紳士が報道のカメラに囲まれて消えていった。

 昨日成田で飛行機が墜落した話はそのあと判明した。まったく知らなかった。帰りが昨日だったら名古屋におろされていたかもしれない。勤勉な日本人の必死の滑走路復旧作業によって1日違いで帰ってきた僕たちは事なきを得た。

 KIRIN 午後の紅茶を買って成田エクスプレスに乗る。あー日本に帰ってきたという感じ。夕方ではあるけれども、テキサスの空を見続けた目にはどことなくぼんやりとした空色に見える。やっぱりこれが見慣れた色だ。ポンコツの車も、字を書いた段ボールを持って立っているホームレスも、巨大なハンバーガーも、上半身裸で自転車乗っているやつも、棺桶みたいな牽引車を付けて走っている機材車も、全身タトゥーだらけのファンキーなお姉ちゃんも、エディ・マーフィーみたいなしゃべり方をするファミレスの店員も、フレディ・マーキュリーに激似の客室乗務員も、みーんな地球の裏側に行ってしまってここにはいない。彼らは僕らとは別に、そこでそれぞれの人生を歩んでいるんだ。また会おうアメリカ!

以上、ここまでが9dw@SXSWの一部始終です。この間、レコーディングとミックスが中断してずっと待ってくれていたアーティスト&関係者の皆さんにお詫びするとともに、貴重な体験の機会を与えてくれた齋藤さん、そして献身的なサポートをしてくれた同行の中原さん、そしてメンバーにも感謝したいと思います。最後に僕のファミリーにも感謝。明日から仕事頑張ります!

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