若干遅れながらもFIFAの話。ウズベキスタンのサポーターはあまりマナーがよくなかったけど、はるばるウズベキスタンにまで応援に行った日本のサポーターは気合い入ってた。すごい行動力だ。皆さんお疲れ様。
で、サッカーを見てふと思い出したことがある。ウズベキスタンといえば唐招提寺だ。僕の中ではウズベキスタンといえば唐招提寺ということになっている。実は今日話したいのはその唐招提寺の話だったりする。
唐招提寺は鑑真という中国の高僧が日本に苦労して渡ってきて天平時代(西暦759年)に創建した奈良の寺だ。彼が亡くなったときに作られた写実的な坐像が有名で、東京の上野なんかに何度かきたことがある(僕も間近で見たことあるよ)。
唐招提寺にも僕は3回行ったことがある。そのうちの2回は一人でカメラを持って行ったのだけれども、閉館ぎりぎりに入ると夕日を浴びた金堂がなんともいえず渋く輝いていて本当に美しかった。雨上がりのあとはひっそりとしていなんともいえない清らかな空気が流れている。不便な場所にあるけど好きな寺の一つだ。
その立派な金堂が100年ぶりに修理されることになった。平成の大修理。過去に何度も修理されてきた中では最大のプロジェクトだ。なんといっても創建以来一度も外に出たことのない本尊を外に出し、金堂の完全解体を行ったのだ。屋根から柱まで完全に取り外され、ばらされてから木材の一本一本に修復を施して再度くみ上げた。これは新しい建物を建てるよりより遙かに手間がかかる作業らしい。一度外した木は伸び縮みを繰り返し、再度はめたときには寸法が違ってくるのだ。古くなった和釘は再度溶かして鍛冶屋が新しい和釘に生まれ変わらせた。本当に手が1000本ある千手観音の手もすべてとりはずされて一本一本に金箔の剥離を止める修復が施された。この気の遠くなるような作業は10年も続き、今年10月にようやく全工事が終了する。
「唐招提寺建立縁起」にはこの金堂を造ったのは「胡国の人、安如宝」と出てくる。如宝は鑑真が連れてきた渡来人で、鑑真の死後も唐招提寺の発展に貢献した人物だ。そこで注目すべきなのは如宝を「胡国」の人と言っていることだ。胡国は今で言うところのウズベキスタン周辺にあったソグド人の国のこと。ソグド人はペルシア系の白人で、典型的な人は目が青い。つまり唐招提寺の金堂を造ったのは青い目の白人僧侶だった可能性があるというのだ。この記述について疑問視する見解もあるけど、実際にそういうことがあってもなんら不思議ではないだろう。当時の唐にはソグド人がたくさん入ってきたらしいし、如宝がソグド人だったとしてもなんの不思議もない。 もしかすると金堂を造ったのが鑑真ではなかったという事実にひっかかっている人がいるのかもしれない。しかし如宝が造ったのはほぼ間違いないと思う。
如宝は当時の大物との人脈を持ったインテリ僧であったらしく、かの空海とも仲良くしていた。空海に日本語の代筆を頼んでいたりしたのだ(字がうまいし)。空海は唐に留学の経験があり、中国語が話せた。如宝とは中国語で会話できたのだ。1200年も前の日本にそんなインターナショナルな世界があったなんて! そういう歴史話ってなんだかイイ。