ミックスの考え方

 プロのエンジニアさんでも人によってやり方や考え方が違うのがミックスです。
最近は自分の作品を自分なりにミックスしてる人も多いですよね。
僕もそう言う人を応援していきたいです。

仕事柄、プロではないけれどもミュージシャンが自らミックスして来たデータを受け取ったりすることも多くあり、中にはプロと遜色のないミックスができるアーティストなんかもいます。一方で、不安もありつつ、予算とか自分のイメージを具現化できるエンジニアが見つからないと言う理由で頑張ってミックスしてくる人もいて、人それぞれです。

 正直うまいミックスとはいえなくても、自分の考えていた世界観を具現化できていると言う意味でいいミックスだというものもあり、そういうのを否定するつもりもないです。むしろ積極的にトライするべきですね。さらにはミックスはプロに任せるんだけれども自分と思ってたような感じにはなってなくて、自分のイメージに近づけようといろんな注文をつけて修正してもらったら、さらにイメージから遠のいてしまった、みたいなこともしばしばあります。こういう失敗を繰り返してアーティストもエンジニアも成長していくものだとは思いますが、客観的にみていると失敗に陥りやすいパターンというのがいくつか存在するようです。そういうあるあるパターンを紹介したいと思います。

そもそも自分のイメージが違っているパターン

なんだかエンジニアではなく人のせいにしているみたいな見出しで恐縮なんですがw 実際にはよくあります。例えばアーティストがよくいうのは「ドラムをもっとバーンと響いているような感じ!」ってリクエストはよくあります。なるほど、バーンとドラムは響いていたいですよね! そこで「じゃあ具体的にどういう感じがいい?」ときいて、普段いいなあと思っている誰かの曲をYouTubeなんかで探してもらって「こういうかんじ」っていうのを聞かせてもらうんです。でもそれを聞くとめっちゃドラムがドライなかんじだったりするんです。ヘたしたらスネアとかバスドラにゲートとかかかってて、人工的なアンビエンスがうっすらと混ざってるだけ、みたいだったり。つまりご本人はその曲の印象としてバーンと響いている印象があったんですが、それはドラムではなく他の要素がそうなっていたために錯覚していた、なんてことはプロの世界でも結構あるあるなのです。これに気づかないまま、ドラムにすっごいアンビエンス感を足してバーンと響かせたりすると「確かにすごく響いてるんだけど、なんか思ってたのと違うな」みたいな話になって、ともすればそのイメージの符合しない原因をエンジニアの力量の責任にされてしまいがちでもあります。エンジニアとしてそこでやるべきことはアーティストの持っているイメージが本当にそういう音なのか、っていうことを本人にも確かめてもらうってことが必要だったりします。ほとんどの場合、機材やミックスの技術に精通していな限りはその求めている音がどうやって作られているかなど細かいことは気にせずに印象だけで判断していることがほとんどで、その誤った印象に惑わされて時間を浪費していくことに注意を払う必要はあると思います。

聞こえない要素ばかりを気にしてしまう

 人間の心理として、入れたはずの音が聞こえづらいことは誰でもかなり気になります。ミックスに不慣れな人ほどその聞こえない音を「ボリュームを上げる」ことだけで解決しようとする傾向が強いです。これでは「アゲアゲ競争」が始まってしまいます。
 聞こえない音を上げる→上げることで聞こえづらくなる音が新たに生まれる→それももっと聞こえたいので上げる…。結局最後には全部上がって全体のボリュームが上がっただけみたいになってしまう現象です。
 音のボリュームを上げること自体に罪はありませんが、何かを上げると必ず他の何かが犠牲になるという要素が発生することは無視してはいけません。そのためには「なぜきこえづらいのか」を客観的に考える必要があります。その結果、単純にもう少しボリュームをあげたら解決する問題であることもありますし、聞こえづらいのは同じ帯域で音がカブっている別の音の音色に問題があることもあります。そんな時は聞こえづらい音はいじらずにそれをマスキングしている他の音のある帯域を削ってやる、みたいなことも試すべきです。「音を削る」という言葉に消極的なイメージを持っている人は多く、印象として「そういう行為はしたくない」と拒絶反応を示す人もいますが、ミックスではむしろ積極的にやるべき必要な行為ですし、「削る」という言葉イコール「なくしてしまう」という意味に捉えてしまうのはちょっと違うかなと思います。あくまで「出すぎている部分をちょうどいい感じにする」というイメージを持つべきだと思います。
 いいミックスをやるエンジニアさんには上げることばっかりをやる人にはいませんし、うまくできているミックスは上げる要素と同じくらい下げる要素もたくさん含ませているものです。音数の多いミックスほど何を削るかと言う部分は大きな勝因につながります。また削るという行為にはEQやフィルターのように周波数的な処理ばかりではなく、ある帯域や音量のムラが他の音を邪魔しているパターンとかもよくあるので、コンプのようなダイナミクス処理だけで音を聞こえさせる、というようなことも日常的に出てくることになります。

「音がでかい」を正義とするか

 聴感上のレベルより大きな音に感じる音っていうのは迫力があり、音楽として必要な要素だってことはなんら疑問を挟む余地がありませんが、音がでかくなる=ラウドな音にはなんの弱点もないと考えるにはかなり疑問を感じています。
 音圧を上げると言うことは小さい音の成分がどんどん大きな振幅をもつようになるということで、小さい音が入る部屋にはあまり誰もいなくなって大きな音がいる部屋にみんなぎゅうぎゅうに入るってことです。
 音が大きくなると言うことはすなわちレンジが狭くなっているのと同じことになります。レンジが狭くなっていることが大して気にならない人ほどラウドな音のメリットを享受している人が多いのはたしかですが、レンジの大きい音の素晴らしさを体験すれするほど、音圧競争のやりすぎに注意を払いたくなります。レンジの狭い音はアタックも小さくなり、アンサンブルの分離感が失われてすべての音がぺったりとノリでくっついてるような音になります。壁みたいになっている音がロックぽいのは同意しますが、じゃあレンジが狭ければ狭いほどロックになってるかというとそうでもないのです。音は大きくきこえるほうがいいけど、レンジの狭さを前面に出してまで目指すところではない、ということは考えてもいいんじゃないかと思います。そのためにはレンジの広いミックスの良さももっと体感しておくべきだと思います。

 

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