情弱は不幸か幸福か。

「情報弱者」という言葉はここ数年、ネットでよく聞かれる言葉になった。今では「情弱」と略されることも多くなったけど、テレビや新聞ではあまり使われない。ちょっと人を見下した差別用語的な見方もあるかもしれない。 そもそも情報弱者というのは、世の中の情報をあまり多く持っていない人、いいかれば情報を日常会話やテレビからしか得ていない人のことをいう。最近ではスマホでネットニュースなどをみられるようになった人が増えたことでより多くの情報をインターネットから得ている人も多く、情報弱者と呼ばれるほど情弱な人は少なくなったかもしれないが、実はインターネットの人口普及率79.1%とという数字からはまったく見えてこない情報弱者の数が存在しているのだろう。 インターネットをやっているからといって情報をふんだんに入手できているとは限らない。テレビと違ってインターネットは自分から情報を取りに行かなければ何も得られないメディアだからだ。インターネット・ユーザーが誰しも積極的に情報収集にいそしんでいるとは限らない。 例えばネットニュースは新聞よりは多少情報量が多く、例えばルー・リードが死んだことなどは一般紙が大きく取り上げることはないが、ネットならかなり目立つニュースとして取り上げている。紙面の制限がない上、新聞よりもユーザーが自由に取捨選択できるように構造が成り立っているから圧倒的に取り扱うネタが増えているのだ。正直、今は紙の新聞を取る意味なんて近所のスーパーの安売り情報を手に入れる以外はほとんどないと僕自身は思っている。電車の中で新聞を読む人も随分と減った。 とはいえ新聞や週刊誌を買う人はまだまだ多い。理由は幾つもあるだろうけど、インターネットに情報を頼っていない人はまだまだ世の中には多いのだと思う。それにインターネットは余計な情報が多く、情報が自分で選べない、しかも信用に値しないと思っている人もいるかもしれない。新聞のほうが正確な情報が得られると思っている人もいる。 新聞好きの人を否定するつもりは毛頭ないけど、世の中的にはそういう考え方こそ情報弱者の証だとしてバッシングされていることも事実だ。 インターネットの普及によって情報が増えたことは、単純に人々の情報量が増えただけでなく、既存の情報メディアの欠点に気づくきっかけにもなった。テレビや新聞がいかに偏った情報を僕達に与えてきたか、最近はこのことに多くの人が気づき始めた。当然のことながら、テレビや新聞は自分自身を批判することはない。広告を収入源としている以上はスポンサーの悪口を言うわけにもいかない。そんなのはみんなわかっていたけど、より正確な情報がインターネットに流れるようになって既存メディアの思惑が浮き彫りになってきた。 政治もしかり、殺人事件もしかり、原発問題もしかり、既存メディアが自分たちの都合のいい用に情報を取捨選択していることはインターネットから得た情報との比較によって露呈してしまった。 凶悪な事件などでも場合によってはテレビで報じられている内容とインターネットでユーザーが集めた情報とがまるで違う様相になっていることもめずらしくなくなってきた。テレビしか見ていない人とインターネットで深く掘り下げている人とでは真逆の情報を得ている、ということもありうるのが現状だ。テレビでは人権問題や民族差別などに配慮するための制限も当然あるけど、インターネットではおかまいなしに情報がろ過されることなくそのままの状態で垂れ流されている。 これを良くないと思う人も当然いるだろう。問題も確かにある。しかし自分自身に情報を正しく得る能力があれば、正確な情報の判断はむしろテレビや新聞よりインターネットのほうが有効なのではないかと思う。 この考えと全く逆な見方があっても不思議じゃないけど、トータルで見てインターネットというメディアは驚くほど影響力を増している。 テレビは特にインターネット、特にYouTubeに客を取られた。最近はYouTubeで番組を作っている制作組織もふえて、ヘタなテレビ番組より面白いプログラムが無料で配信されている。逆にテレビがYouTubeからネタを拾ってきてテレビで紹介しているようなケースもあって、さすがにそれは情けない思いがする。テレビは今、自分たちの役割を見直す大きな岐路に立たされている。テレビ自体は何も悪くないし、優れたメディアだと思っているけど、今は視聴者を満足させるような番組があまり作れていないのは、カネがないせいじゃなくて間違った方向にテレビメディアが進んできてしまったからだと思う。「テレビなんて情弱が見るもの」という批判的な意見は、今はあまりにもひどい言い方だとは思うけど、本当にそうなりかねない時がこのままでは来るかもしれない。 一方で思っているのは「情報はありすぎても人間は幸福にはなれない」ということだ。たしかに世間に無関心だというのは人間として無責任だと思う。環境問題やエネルギー問題、経済問題など人間は共有しなければならない問題点をたくさんかかえていて、それに対して無関心でいられるのは他力本願以外の何物でもない。そういう意味で情報には耳を傾けるべきだと思う。 だけど人間には知らなくていい情報がある。この世の中は真実を知るとがっかりしてしまうことや落ち込んでしまいそうになることが山積している。真実を知れば知るほどノーフューチャーなのだ。具体的な例を挙げるとまた知らなくていいことを知ってしまうことになるので言わないけど、世の中はホント大変なことになっている。ただ、知るべきことと知らなくていいことの境界線も結構ビミョーなところがあるからやっかいだ。頭のなかをいつもお花畑みたいにしておきたい人はインターネットなんかに手を染めない方がいいだろう。インターネットは便利で楽しいメディアだけど、決して人間を幸せにしてくれるものじゃない。 世の中がこうなってしまった以上「情報格差」は計り知れないほど巨大なものになっている。インターネットには目もくれず、今までどおりの生活をしている人と、インターネットにどっぷり浸かった人の持つ情報量では雲泥の差が付いている。だけど情報弱者が損をするばかりじゃないことは間違いない。情報を持っているから幸せになれるわけじゃない。情報弱者は見下されるべきじゃないと思う。 それでもインターネットに僕がどっぷりと浸かっているのは、貪欲な好奇心に負けてしまったからだ。不幸になろうがどうなろうが、知りたいことがたくさんある以上、インターネットから逃れることはできそうもない。「インターネット中毒」まではいっていないと自分では思っているけど(何日も見ない時もあるし)、インターネットもテレビも見ないなんて人からしたら異常な生活かもね。何事もほどほどに。

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