つーか、最近忙しすぎて自分のことがなんにもできてない。ということをブログを更新しない理由にしてはいるんだけど、本当はやろうと思えばやれると思うんだよね。でもやらないのはなんか、気乗りしないというか、うまく気持ちが切り替えられない。
ブログ書くくらいならもっとやらなければいけないことがたくさんあるだろ、というもう一人の自分の突っ込みが聞こえてくる。うん、確かにそうだ。でも今日はブログを更新する。
ここ一ヶ月にあったことをいろいろ思い出してまとめようと思ったんだけど、ずっとスタジオにいると時間とか日付の感覚がなくなって、気がつくと簡単に一ヶ月が過ぎているという感じ。でもこの状態もそろそろ落ち着いてきそうなので、みんななんか面白いことあったら僕を誘ってください。
で、そう思い出した。大阪から僕と唯一の付き合いのあるいとこが東京にやってきて会ったんだ。
僕にはいとこが全部で7人いる。多分だけど少ない方だと思う。いや、厳密にいうと9人か。そんなもんか。
そのうち事実上の付き合いがあるのがこのいとこ、「すーちゃん」だ。すーちゃんといってもキャンディーズのすーちゃんと同じ発音をしてはいけない。「す」にはアクセントを打たない。平坦に「すーちゃん」。
彼は僕の一つ上だけど、5歳くらいまでは歩いて行けるような距離のところに住んでいて、僕が引っ越してからも年に数回会うような付き合いをしていた。 大人になってから少々ブランクの空いている時期もあったけど、僕が音楽の仕事をするようになってからまた付き合いが始まった。彼も音楽好き、というかロック好きなんだ。
僕とはあまり音楽の趣味は合わないけど、音楽が好きと言うだけでいろいろノリが合ってくる。そんな彼はわざわざ東京にマイケル・シェンカー・グループを観に来ていた。
ライブが終わって近所の焼き鳥屋でここ20年に互いにあった出来事を話し合った。僕もいろいろあったけど、彼のいろいろはさらに凄まじかった。だけど、僕が東京で頑張っている様子を知って、そのエネルギーを大阪に持って帰りたいとばかりに質問攻めにあったけど、そんなエネルギーが僕にあるかどうかはさておき、とりあえず自分を振り返るいい機会にもなった。
20年以上も大阪を離れた僕からすれば彼はベタベタのネイティブな大阪人 で、その「圧」に若干負けそうだった。なにより声がでかい。きっと僕たちの会話の内容はお店の人にも聞こえていたかもね。そんな感じも最近すっかり味わってなかったので久々に大阪の感覚を楽しんでた。
最近僕の周囲はベビーブームだ。出産ラッシュといっていい。僕が付き合っている人達は僕と同世代よりちょっと下の人、30代後半から40くらいまでの人が多い。というのも僕と同世代は人口分布的にもかなり少ないんだ。いてもすごく出世して忙しい人が多いし。だから今ちょうどみんな身を固める準備に入っているんだね。
ご当人たちはどれだけ自覚しているのかは分からないけど、僕はこの現象を単に年齢だけのせいにはしていない。これはきっと昨年の震災の影響があるに違いないと思う。みんなあの時点で一度人生を見つめ直して前に進もうとしたし、なにか転換が必要な人にもいいきっかけとなっていた。住む場所を変えた人もかなりいたし。
さらにちょっと仕事がひまになって家庭に時間を費やしていた人もおおかったかもしれない。これからの日本を支えてくれる新しい命に経緯を表して、僕はいくつかのお祝いを贈った。
かくいう僕には子供がいないので、多少周囲に気を遣わせているかもしれないけど、大丈夫。お気遣いなく!
仕事を8時くらいで終わらせて焼き鳥屋に 行った以外は殆ど休みなく夜中の1時くらいまで仕事をすることが殆どだったけど、1日だけジャクソン・ポロック展だけは終わる前に行かなきゃということで行ってきた。
最近はライブよりも絵を見に行くほうがちょっと多いかもしれないなあ。
ポロックはアメリカの画家でとっくの昔に交通事故で若くして死んでいるんだけど、なんかわけのわからない(と一般的には思われている)抽象画で有名なんだ。キャンバスに筆で絵を描くんじゃなくて、直接絵の具やペンキをたらしていく「ポーリング」って技法で知られている。
制作風景はこういう感じで、おおざっぱな感じがするのはアメリカ的でほほえましいんだけど、当時の評論家たちはデタラメと評したらしい。僕が見る限り、むしろ非常に統制の取れた絵だなという感じがした。配色とかもすごく考えられているし、ランダムなんだけど、そのランダムさが均等になるように絵の具のたらし方 をコントロールしている。その感覚が素晴らしかった。
ひとつ日本の書画を意識したような、紙に黒い色でバシャーっとたらした作品があったけど、この一発OK的な模様の一部をあとになってポロックは白い色を入れて修正している。やっぱりすごく考えられている。だけどこの作品、本当にいいんだね!
ちなみにポロックはそこそこ生きている間に成功したらしく、お兄さんとかがマネージメントっぽいことをやって たりして、家族がそれなりにぶら下がっていたんじゃないかという気配を感じた。だから時には絵が売れることを考えなければいけなかったんじゃないかと思う。
5〜6年前にトラック運転手のおばさんがリサイクルショップで5ドルで買った絵が ポロックの本物だったという実話をドキュメンタリーにした映画があって、これをチェックしようとしてる。アラブの富豪か誰かが20億円で譲ってくれと言ってきたオファーをそんなもんじゃないだろ、と断ったエピソードがあるとかないとか。すごいね。それくらいポロックのポーリングで描いた絵は評価が高いんだ。
というのも、僕も展覧会に言って初めて知ったんだけど、僕らがよく知っているポロックのあの作風は実はとても限られた期間にしか描かれていなくって、1950年から51年くらいの間がそのピークだった。大きな絵はすごく少ないんだよね。 つーわけで次はボストン美術館展に行ってきます。僕のヒーロー、曾我蕭白の作品の貴重な里帰りをチェックしないと!