歪曲談集

 アメリカから帰ってきた次の日から今日まで、まったく休みなしで働いている。今月は1年の中で一番忙しい月だ。先日ようやくPANGちゃんのアルバムのマスターを作り終えたけど、仕事は全然終わっていない。体はつらいけど、毎日が充実していて、仕事に対するストレスはまったくない。毎日楽しく仕事ができているのは本当に幸せなことだ。
 それでまったくブログを更新できていないために紹介がすっかり遅れてしまったんだけど、Shing02のアルバム「歪曲」にちなんで企画されている「歪曲談集」のページに僕のロングインタビューが載っている。赤裸々に僕の経歴を告白しているので(?)恥ずかしいけど興味のある人は読んでください。


 とはいっても42年も生きていれば全部を語ることなんて到底できない。このページのインタビューでも肝心な情報が抜け落ちている。僕の音楽のルーツの話でも、これを読めばKraftwerkばかり聴いているように思えてくるけど、実際はかなり違う。
 80年代の僕は大半をNurse With WoundDie Tödliche Dorisなどのノイジーな音楽を聴いて過ごしていた。The Hafler Trioが僕のヒーローだった。シンセサイザーに興味を持ったものの、テクノにのめり込んでいくことができなくて、むしろドイツのプログレなんかのほうが興味があった。なぜなら僕が求めているライフスタイルが衛生的でファッション的なものじゃなく、むしろカオティックで有機的な方向に向いていたので、シンセサイザーにもそういうイメージで面白い使い方がないか模索していた。
 僕自身は白人的なものも黒人的なものも許容できるけど、それはカオティックなものは白人にいいものがあり、有機的な要素は黒人音楽に優れた物があったからだ。そこにアジア、特に日本的な「わびさび」感を自分の音楽性に取り入れていきたいというのがジャンルを超えた僕の音楽観念で、その方向性はどういうわけか80年代から全く変わらずに今まで来ている。

 話を歪曲談集に戻そう。補足的な情報を少し。このインタビューの中にしばしば出てくるK君の話だけど、実はここ10年来、K君とは連絡をとっていない。たしかに彼とは親友であったけど、多分彼の方が僕とつきあうことが窮屈になってきたらしい。次第に連絡をしてこなくなった。僕が酒を飲まないことも彼とのつきあいに大きな影を落とした。僕は思い出したように時々CDやビデオを彼に家に送り付けていたけど、それに対する返事が来ることがなかった。
 僕は彼の携帯電話の番号もメールアドレスも知らない。そんなわけで今では彼とのつきあいがなくなってしまったのだ。
 彼とは中学生の頃に廃墟になった団地の一室に潜り込んでそこをスタジオにして音楽を作っていた時期があった。その頃はわけわからん音楽ばかり作って楽しかった。大人になってからも大阪市内にマンションを借りてスタジオにしていたけど、結局それは僕が「やめよう」と言い出して幕を閉じた。彼と本気で口論した最初で最後の機会だったけど、最後には彼が僕にあやまって解散となった。その後も互いに仲良くはしていたけど、彼は音楽以外のことに興味をもちはじめて僕とは接点がなくなっていった。
 そのときボーカルをしていたF君ともそれ以来会わなくなってしまった。その後彼は大きな交通事故に遭って生死をさまよい、久しぶりに僕の家を訪ねてきたときには、ちぎれかけた耳を縫い合わせた跡を僕に見せながら笑っていた。彼も今はどうしているのか全く知らない。
 しかしF君の幼なじみで紹介されたI君とは未だに年賀状のやりとりをしている。もう15年も会っていないのに。彼はいまでも音楽を愛しているようで、家族を持ち幸せに暮らしている。
 大阪にいる友達で未だにつきあいが続いているのはまつおかたかこという女性だけだ。彼女とは性別を超えた同志のような関係だ(僕は相手さえ抵抗がなければ女性であってもそういうつきあい方ができる)。年に1度くらい会い、あとはメールでちょこちょこ話しているくらいの仲だけど、途切れずに今でもつきあいが続いている。時々お土産の送り合いもする。そういうつかず離れずの関係ってそんなに悪い物じゃない。彼女は大阪でも有数のプロのイラストレーターで、「お絵かきさん」を自称している。芸術的才能を持った人。興味深い話も聞ける。ブログの十三の飲み会の話は彼女と会った時のものだ。とはいっても僕は酒を飲まないんだけど。