大阪に行くと必ず観光客が記念写真を撮りに行くあの道頓堀のくいだおれ人形、最近のニュースではあの店が閉店すると言うことで人形がどこへ行くかなんて話題が盛り上がっていました。そこで出てきたのがくいだおれ太郎には父と弟がいるというトリビア。へえー1人だけだと思っていたのに意外〜! みたいな驚きの声があちこちのお茶の間で響いたんでしょうねえ。
ところがちょっとまてよと。僕はずいぶん昔にくいだおれ人形が15体あるという話をどこかできいたことがある。それなのにどこのテレビも取り上げていない。これにちょっと疑問を感じて調べました。
我が家には僕が作った古いモノをいろいろ貼り付けた門外不出(実は恥ずかしくて見せられない)のスクラップブックがあり、もしかするとそこに記事が残っているかもと探してみましたら、ありましたありました。
たぶん20年くらい前の情報誌(おそらく「ぷがじゃ」かな?)の切り抜きで、「街の隠れ家で14体のくいだおれ人形は赤いネオンの夢を見ていた」という見出しのコラム。ちょっと引用させてもらいます。
『「一体いくつあるんですか?」「そうですねェ、15…ですかね」「15ォ!」反射的に15体のくいだおれ人形がズラリ並んで一斉にドンチャカやってる図を頭に描いて狂喜しまった私は、即座に取材を申し込んでしまったのだけど、どうして15もあるのかしら? 「くいだおれの創業は昭和24年。今ではすっかり大阪名物になってしまったくいだおれ人形も創業当初から店頭を飾っていました。はじめの頃は道頓堀ゆかりの芸人さんがモデルでね、アチャコとか金語楼とか…、いろいろ変わってたんですよ。今の顔になったのは30年前くらいからですね。」(中略)で、どうして15もあるのかというと…「万博のとき会場に16店出店する予定だったんです。それで16つくったんですが、結局、協会の方が店頭に人形を置いてはいけないと言ってきまして、使わなかったんですけど…」今は交互に修理しながら一人ずつ店頭でお勤め。「ゴールデンウィークは実験的に二つ置いてみたんですよ。」なんて、面白いじゃない。そのあと倉庫へお伴して14の眠る人形ともゴ対面。』
この記事の中には今では語られていない情報がいくつか入っています。まず人形の顔のモデルが当初から創業者・山田六郎氏の顔ではなかったこと。そして15体も人形が存在し、店頭に出ているくいだおれ太郎は修理のためにこっそりと別の兄弟にすげ替えられている可能性があることです。古い人形を処分したという話も聞いたことがないことから、これは意図的に隠された事実なのかもしれません。15体もあれば閉店後の行き先は複雑になるし、なによりそんなにたくさんあることが知られれば希少価値の問題にも影響があるかもしれませんしね。たった1体と思っているから珍重されているということも考えられます。
もうひとつ疑問があります。1970年の大阪万博16店出店のために16体作ったと。それなら道頓堀の本店のために1体必要なはずで、都合17体あったはずです。なのに16体としている。しかも関係者は「15体」と言い、1体が店先に出ているので倉庫には14体あるとしています。であれば1体か2体いなくなっちゃったわけですよね? これどういうわけでしょうか?
切り抜きの記事には倉庫の写真があり、5〜6体のくいだおれ人形が並んでいる様子が撮影されています(顔が紙のようなもので覆われている個体もあり)。父と弟どころか、実は大家族だったことは明白なのです。
どうですかこの雑学? 誰かにしゃべって自慢してください。
追加雑学:「くいだおれ」という言葉は大阪人にグルメ好きが昔から多かったことから由来していると思われていますが、江戸時代、川と堀が多かった浪速(なにわ)の街では橋梁工事のために寄付をすることが成功した大阪商人のステータスで、そこに見栄を張って金を使いすぎて店がつぶれてしまいそうになることを「杭倒れ」といったことがのちになって「食い倒れ」と解釈されるようになったとのことです。